二宮忠八と飛行神社

二宮忠八と飛行神社

当サイト内でも飛行神社を紹介しましたが、
いったいなぜ?
あんな神社が建立されたのでしょうか?

その答えを知るには、二宮忠八という人物について知っておく必要があります。

航空界のパイオニア「二宮忠八」


幼い頃からの飛行機好きな忠八

二宮忠八は慶応2年(1866年)愛媛県八幡浜市で生まれます。
少年の頃から、独創的なアイデアで凧を作って飛ばしたり、物作りの得意な人でした。

青年になった忠八は、軍隊に入隊しますが、その時、兵士たちの残飯を狙い、上空を飛行するカラスの姿にヒントを得て、明治29年4月29日、ゴムを動力とする世界初のプロペラ式模型飛行機の飛行に成功します。

このカラスの翼の観察と研究により、従来は人間が大空に舞い上がるには、鳥のように翼を造ってはばたくしか方法がないと考えていた当時の考えを根底から覆す発見を忠八はします。

玉虫型飛行器の開発

その後、カラスの翼からヒントを得て、人が乗って飛べるよう設計された玉虫型飛行器
を完成させます。
※玉虫型飛行器の模型です
二宮忠八と飛行神社

この玉虫型飛行器は、ゼンマイ式の飛行機でしたが、このままでは人を乗せて飛行することは不可能でした。

つまり、動力が足りなかったのです。
協力者の必要性を感じた忠八はこの玉虫型飛行器を飛ばすためのエンジンの提供を
軍に要請しますが、これを却下されます。

当時の軍隊は、まさかこの飛行機が本当に空を飛ぶとは思ってもいなかったのだと言われています。

しかも当時、ガソリンエンジンというものは、今よりも遥かに高価なもので、そう簡単に個人が利用できるものではなかったようです。

ライト兄弟が有人飛行器実験に成功

そのような事情から、忠八の有人動力飛行機のプロジェクトは暗礁に乗り上げます。
そんなとき、欧米のヨーロッパから、ライト兄弟が人類初の有人動力飛行を成功されます。

これに失望した忠八は、自分の作った玉虫型飛行器をぐちゃぐちゃに壊してしまい、飛行機政策を断念してしまいます。

本当にもしあのとき、軍が忠八の飛行機に資金援助をしてあげていれば…
人類初の有人動力飛行の第一歩は日本人が達成したことになっていた可能性が、非常に高かったと言われています。

そうなれば、その後の歴史にも影響があったのかな…
などと、日本人としては少し悔しい思いもするわけですね。

航空事故の増加と飛行神社の建立


そして、みなさんもご存じのように飛行機の記述の進歩というのは目を見張るようなスピードで進化して行ったのです。

しかし、この技術の進歩の裏側で、飛行機事故で亡くなっていく人の数もだんだんと大きくなってきます。

人類の夢と希望を乗せて作った飛行機が、人の命を奪うものになってしまっている。

この現状を懸念した二宮忠八は航空事故によって亡くなった御霊を慰めるため、八幡土井にある自らの邸内に「飛行神社」を建立しました。
航空殉難者の霊を慰める祭りが行われています。

神社境内の中の様子
このような神社というのは実はここ八幡にしかなく、世界に例を見ない神社として知られています。

まさに、飛行機に夢を乗せて、人類が空を飛ぶ夢を本気で願っていた二宮忠八の非常に大きな功績だと言えるでしょう。