京都府八幡市の歴史

八幡市の歴史(近代から現代)

では、近代に入ってからの八幡市はどのような歴史を辿ったのでしょうか。

 

淀川水運の地位の低下

 

また、近代に入り交通網が発達してくると、京都と大阪を結んでいた水運である淀川の地位が低下してきます。
その代わりに、旧国道1号線や、京阪電車が建設され、市民の生活レベルの向上が図られてきました。

 

 

文化面での歴史

 

松花堂昭乗と著名な文化人

八幡市は文化面では、江戸時代初期に松花堂昭乗(寛永の三筆の一人と称される人物)が石清水八幡宮の坊舎に住まいし、当代の著名な文人たちと集い、書道・茶道・和歌などを介して文化の発信基地としても高い地位を占めてきた歴史があります。

 

谷崎潤一郎の文学碑

また谷崎潤一郎の文学作品小説である「蘆刈」の中に出てくるシチュエーションはまさしく、八幡市の橋本と大山崎を結ぶ淀川の中州が小説の舞台になっています。
その証拠として、男山の山上には谷崎潤一郎の文学碑が建てられています。
京都府八幡市の近代から現代にかけての歴史をご紹介いたします。

 

戊辰戦争での激戦地

 

また、悲しい歴史ではありますが、江戸時代末期、新政府軍と旧幕府軍の間で戦争が起こります。戊辰戦争です。
この戦争によって、八幡はその交通の砦という意味もあり、戦略上非常に重要な拠点であると考えられていました。
開戦以来敗退を重ね、淀から退いた旧幕府軍が、京と大坂の関門であり、軍事的要衝である橋本に布陣し、新政府軍の追撃に備えました。
しかし結果的に旧幕府軍は新政府軍の元に破れ、大阪への敗走を余儀なくされます。